2006年10月25日

相手の職業に敬意を表すること

 今日は、十月職業奉仕月間最終の例会です。
 担当委員会のお骨折りで今年この地に建造されたこの「北名古屋健康ドーム」を見学させて頂くことになりました。後ほど館内をご案内いたゞくこととなっております。
 この施設オープン前に我々環境保全委員会によりまして記念樹を寄贈いたしました。この入口正面にクロガネモチの木が植え込まれており、私達の奉仕のあかしが誇らしく立っております。しかし、ロータリーの寄贈は実はひかえ目でございまして、寄贈者表示看板も小さく謙虚さを表しています。
 さて、私達ロータリアンの規範として大切にしている「職業宣言」というものがあります。これは一九一五年の「道徳律」代わって、一九八九年シンガポールに於いての国際ロータリー規定審議会で採択された八ヶ条の宣言、皆様お持ちの「ロータリー職業奉仕を理解するために」あの緑色の本に載っています。職業宣言八ヶ条、その中の四番目に、「雇主、従業員、同僚、同業者、顧客、公衆、その他事業または専門職務上関係を持つ全ての人々に対し、等しく公正なるべし」とあり、同じく五番目には、「社会に有用なすべての業務に対し、当然それに伴う名誉と敬意を表すべきことを知れ」と記されています。主従であれ、同僚であれ、取引先やお客であろうとなかろうと、又、士であれ、司であれ、或いは師であろうと全ての人に等しく公正は当然でありますし、社会で働く人々はそれぞれ職業にプライドをお持ちでしょう。そのことに敬意を以って対するのもあたり前のことでございます。
 今日は、ここに働く職員の方々に敬意を表しつつゆっくり見学させて頂こうと思っております。

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2006年10月18日

聞いて下さい奉仕とは

 ロータリーの友に「言いたい、聞きたい」と言う欄があります。ご覧になりましたか、十月号。綱領に対する疑問とか「奉仕って何」など、私と同じような疑問を感じている人が結構居るもんだと思ったので少しお話しさせて頂きます。
 このところ奉仕を義務付けるということがあちこちでよく聞かれるようになりました。先月お話しした、法制審議会で検討中の軽微な犯罪者に、懲役や罪金の他に社会奉仕を義務付けること。また、東京都では来年度から全都立高校で、一単位年間三十五時間の「奉仕」が必修化されること。それは、「規範意識を身に付けさせることを狙いとしている」としています。ボランティアと言わないで「奉仕」と呼ぶ、ここがポイントですが、その理由は「自発的に行うのではなく、教育課程に組み込み必修とするため」と、都の教育委員会が説明しているようです。
 そこで「奉仕」を改めて辞書でひきますと、第一義に、「主君や、神仏に謹んで仕える」とあります。
 我々ロータリーで言う「奉仕」とは、ロータリーの理念を理解しその精神を自発的に行う事と思っていますが、先に申し上げた奉仕という言葉は、そもそも「奉仕」です。そこへいくとボランティアは、その語源からいっても、ラテン語では、「自由意志」。英語では「志願兵」を表すような自発的という意味がある。とするなら、どちらかというとやはりロータリーは、ボランティアを志す人々の集り、の方が合うように思えてきます。
 人のために尽くす行為を、国や人種、宗教の違いでその表現は微妙に異なるものです。
 大修館の大漢和辞典の第二義に「奉仕」とは「自分を棄てて他人の為に尽力する」とあります。奉仕には「滅私」という熟語が連想され、私達日本人は、これが深く心に刻まれています。
 私が少々この言葉に拘りを持つのは、外来の思想や考え方を、あいまいな訳のまゝどちらともつかないで使われていると、本当の理解は得られないと思うからであります。
 米山梅吉翁が、東京ロータリークラブを設立したのが一九二〇年、日本のロータリーはあれから八十六年、私達は、未だ人からロータリーの奉仕って何かと問われても、ズバリ明快な答えが出せないのもこの辺りが一つの原因としてあるのではないだろうか。「身を棄てて、人に尽くす」か、又、「他人によく尽くせば、自分にも多く報われる」を基本とするかで、表現する日本語は自ずから異なるのではないかと思います。
 あまりこんな理屈ばかり言ってると嫌われますからここら辺りで終らせて頂きます。
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2006年10月11日

ガバナー公式訪問

 本日は、国際ロータリー第二七六〇地区斎藤直美ガバナー、並びに藤井伸三地区幹事のご臨席を得まして名古屋清須、尾張中央の二クラブ合同例会です。開催するにあたり、ホストクラブとして一言ご挨拶を述べさせて頂きます。
 私達は、日頃クラブの運営や、地元での奉仕活動のみで、どちらかといえば地味な事しかやっておりません。今日は、年に一度こうして年度のガバナーのご来訪をいたゞき、ロータリーの世界観や直接お会いになったRI会長ってどんな人か、お話しを伺う唯一の機会であります。
 斎藤ガバナーは今年度地区方針に仰ってみえるように、IMを復活しよう、そしてロータリー百年の歴史を学び、ロータリーの精神を、クラブ運営の原理原則とし、そして自己研鑽と友愛の輪を広げようと呼び掛けて下さっています。
 今日この後、そんなお話も存分に伺えると思っています。どうぞ、会員の皆様には最後までご拝聴いたゞきますようお願い申し上げましてご挨拶とさせて頂きます。

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2006年10月04日

将来の日本

 いよいよ新しい内閣が発足いたしました。「美しい国」日本の再生が、今度の内閣のテーマのようですが、果してどう変わって行くでしょう。
 さて「衣食足りて 礼節を知る」という格言を永い間私達は信じて居ましたが、このところ何か言い得てない気がしてならないと思っている人はたくさんいると思います。人は豊かになるとむしろ礼節をおろそかにするようです。特に長幼の序と云う最も大切にしたい習慣をも、いつの日か忘れ去られてしまっています。トルストイの言う「一切の不幸せは、貧しさや、不足から生ずるのではない。あり余るところから生ずるのだ。」 私はこの言葉の方が共感を覚えます。決して貧乏が良いとは思いませんが、少なくとも、あの物が不足していた頃、人々はお互い助け合って温か味がある暮しをしていました。
 ところで、下世話に言う「乞食を三日やると止められない」という言い方は、今日では、乞食とかはいませんので、「ホームレスは」などと言うのですが、「三日やると止められない」わけではなく、「三日やると抜け出せない」と言った方が正しいようです。で、三日やると人の本性がよく見えてくるそうですからより厭世観に囚われ社会への復帰が出来にくいのです。いずれにしても社会の歪が、こういう人達を多く生み出してしまうのですから、成長した良い社会とはとても言えません。
 果たして、この国の指導者達は、若い人達が希望を持って生きられる美しい国をどのようにして造られるでしょうか。
「大和は国のまほろば たたなづく青垣
  山隠もれる 大和し美わし」(景行天皇御歌)
 いにしえの人びとも称えた美わしの国に今又思いをしながら、我々個人は、そして又、ロータリーはどのように関わったらよいでしょうか。一つの課題でもあります。
 その為にではありませんが、偶然本年度当クラブがホストを勤めます第十五回ライラセミナーは、「将来の日本」というテーマを掲げ地域の青年男女とこの問題について一緒に議論し、青年たちと共に意識を高め合う意義深い事業をクラブ一丸となって今準備を進めています。実施日の来年三月二十四日・二十五日まであと半年です。

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2006年09月27日

一隅を照らす

 今日は、十月十一日の地区ガバナー公式訪問に先駆けて、西尾張分区山内登ガバナー補佐並びに岩田勝美補佐幹事がお見えになっております。あとで卓話を頂き、アッセンブリーでは細かくご指導いたゞけることと思っております。
 私共の住まいする北名古屋市高田寺。昔はこのあたり一帯を寺領としておりました名刹医王山高田寺。今から一二八六年前、養老四年(七二〇年)奈良時代に創建された寺で、宗派は天台宗です。
 天台宗の標語に「一隅を照らす」という言葉があります。これは、宗祖伝教大師最澄のお言葉で住職の法話にも必ずこれを仰います。
「国宝とは何者ぞ、宝とは道心なり、
  一隅を照らす、此れ即ち国宝なりと。」
 実は「ロータリアンの一口ばなし」という本がありますが、その中に 一隅を照らす奉仕=@という見出しで、「東京に住むある主婦の話しである」としてこんな話しが載っていました。
 冬の寒い日、近所で水道工事をしている工夫の人達に寒い中をごくろうさまですとお昼のとき温かい味噌汁と熱い茶を振舞った。
 五日ほど続いて工事が終った時、奥さんから受けた温かいお気持に感謝して家の回りから溝に到るまで綺麗に掃除して、見違えるようにしていったというお話し。
 ロータリーの奉仕も、このようにつつましく一隅を照らすものでありたい。と書かれていました。
 実は私も十数年前になりますが、家の前の道路工事があった時、茶を振舞った事がありましたのでその時のことを思い出しました。
 奉仕は、美談として語られなくて、ありふれた日常の出来事に過ぎなくなるような世の中が、我々の求めるものではないでしょうか。
 ロータリーの奉仕の精神に、金を集めて多く施せとはどこにも書いてありませんと結んでありました。
 考えさせられる一文であります。

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2006年09月20日

例会出席の意味とは

 人間の本性を賢人はこう言っております。孟子の言う性善説、荀子の言う性悪説、そして揚雄の善悪混合説とこのように三通りの見分け方が言われています。私は両面あって人間と思うのですが、このところ頻繁に起こる飲酒運転による悲惨な事故、飲酒運転は犯罪であると解っていても止まらない。取締る側から見れば、これはもうどうにもならない性悪人間達だから、罪をドンと重くして性根を叩き直すほか無いとす
る、しかし元々性悪な人間どもだから、事故を起しても今度は怪我人の救済どころか、飲酒がバレないようその場は逃亡する。こうなると最悪です。なんとかこの悪に対する罪と罰が正しく作用するような仕掛けはないものでしょうか。
 それはさて置いて、ロータリーでは、例会に出席することが最も大切なことであります。何事もここから出発し、そしてここで終了する場なのです。
この例会の一時間、競争のない世界で心を許し、自分を取りもどして、他人のことや社会の問題を考えるゆとりを持てるわけであります。そして元々性善な考えを持つ人々の集まりであるこのクラブは、奉仕の実行について語りあい、又、互いの職業に理解を深め、そこに求めるもう一つの奉仕のあり方など議論し合える素晴らしい例会、素晴らしい時間を共有出来るのです。
 しかし、止むを得ず欠席を余儀なくする場合、例会出席に劣らぬほどの理由を申告されるならば、むしろ名誉を賛えるべきというようなこともあってよいと私は思うのですが、いかがでしょうか。ロータリーは互いに理解し合い、助け合っていく。中にはルールは解っていても徹しきれない人もいるわけで、私は、そういう人達の持つ性善を信じ、善の部分を拡大する方法に依って、間違っても落後者を出さないようにしなければ、本当の例会出席の意味は無いと思うのです。
 ロータリーの理想を、
「山高くして貴とからず」としてはならないと思っています。

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2006年09月13日

善行の定義

 先日第三回ライラセミナー実行委員会、担当委員の皆様大変ごくろうさまでした。二日間に亘る会議は、ひたすらセミナーの成功を願って実りある議論をしていただきました。ありがとうございました。後ほど実行委員長よりご報告いたゞけると思います。
 さて、皆さん「施し」と書いて、ホドコシと読むわけですが、物の本によれば「人が困っていたり、恵まれない人があれば物質的に援助を与えることだと言います。
 「他人を心から助けようとする行為は、必ず自分自身をも助けることになる。そしてこれは、人生の最も美しい報酬のひとつである。」とは米国哲学者ラルフ・ウォルドー・エマーソンの言葉であるとロータリーエイジに載っていましたが、洋の東西を問わず、人のために何かをするということは人として大切なことだとの教えは変りません。
 我々ロータリアンには話しの中に必ず出て来るのが They Profit's Most Who Serves Best=u最もよく奉仕するもの、最も多く報いられる」すばらしい理念として私達は奉仕活動のよりどころと考えています。たゞ見方を変えてみますと「よく奉仕すれば、自己を益することも又大である」と言うわけですが、ちょっと違うなあとこのごろ思うのは、以前行ったことがある京都嵯峨の小倉山二尊院で見た、心の糧七ヶ條の1つにこうあります。
「此の世の中で一番尊いことは、人の為に奉仕して決して恩に着せないことである」と。奉仕しても報いをもとめない、これがこの国の美意識として、幼いころから教えられて来た善行の定義だったと思います。
「かけた情は水に流し 受けた恩は石に刻め」と。とことん仕込まれた私達は、報いを求めて奉仕する(たくさん奉仕すれば、たくさん報いられる)に戸惑いを感じているのは私だけではないようです。不勉強な会長の問題解決にどなたかいい智慧を施して下さい。

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2006年09月06日

社会奉仕命令

 まず、本日秋篠宮妃殿下紀子様には親王様のお誕生、心からお慶び申し上げます。
 九月は新世代月間です。昨日、第一回クラブ新世代委員長会議が行われ、当クラブから立松委員長が参加。又地区ライラ委員長として出向の、熊澤勝則君は同会議でライラセミナー実施に当って、八十一クラブの委員長に充分な説明と、出来る限りのご協力をと大いにアピールされたようでございます。
 ところで、中日新聞の社説をご覧になった方はご存知と思いますが、懲役刑や罰金刑のほかに「社会奉仕命令」という刑罰を新設すべきかどうかというお話し、今法務大臣の諮問機関・法制審議会で検討中とのこと。外国では「公益奉仕労働刑」とか「社会内処遇命令」とか類似の制度があるらしいです。
 今回これを検討する理由のひとつに、拘置所や刑務所など、刑事施設が満杯でどうしようもないという現況から出て来たお話しのようで、「ドロボーを見て、縄をなう」は当らないかもしれませんが、要はドロボーが多すぎて縄が足りないわけであります。そこで比較的軽い犯罪で、懲役刑などの代わりに、いわゆる社会奉仕をせよと被告人に命ずるものだそうです。
 私は、「社会奉仕」を罪滅ぼしや償いの対象とするのはいかゞなものかと思うのです。第一「超我の奉仕」に示す通り「奉仕」という言葉は我々ロータリーにとっては金看板です。たとえ軽微とはいえ犯罪者が「奉仕する」は、止めていたゞかねばなりません。例えば、「社会労働使役」とか、罪人に償わせるにふさわしい名称にしてほしいものです。でなければ、ロータリークラブの「社会奉仕委員長」は誰も受け手がなくなってしまいます。よろしくお願い申し上げます、法務大臣殿。
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2006年08月30日

ゆるんだ箍(たが)

 黙して語らず、を美徳とする考え方が私達日本人にはあります。黙っていても伝わることがあります。以心伝心とも言うでしょうか、又黙らなければ伝わらないことだってあります。
 今年六月に見た映画「単騎千里を走る」の中で、主演の高倉健が心の通わなかった息子とやりとりする中で、親の気持ちを伝える演技はセリフではなく、ほとんど黙した中で目と微妙な顔の表情だけでした。これは高倉健さんだからこそ似合う演技で、誰でもと云うわけにはまいりません。「目は口ほどにものを言い」ということでしょう。
「京都三条糸屋の娘 姉は十八、妹は十五、
 諸国大名は弓矢で殺す 糸屋の娘は目で殺す」
若い娘さんならなおのこと言葉は入りません。
 さて、沈黙することは、語らないことではないとはその通りです。暗黙の了解、暗黙の秩序ということもあります。政治家なんかは特にそのあたり非常にうまく使いこなさないといけないそうですが、私達ロータリアンは、大いに語り、大いに議論し、そして、そこに生れる良き事を「率先して」行動する。これは今期の大命題ですから一緒に実行してまいりましょう。
 最近、ロータリアンの規律が守られていないことに憂いを感じているという言葉をよく耳にします。特に出席率の低下はまぎれもない事実です。
 先日の夜間例会で、入会一年未満の或る会員さんが「例会出席の会員義務について、なぜそれが重要なのか解ってないけど、まず決りであることは実行しよう、止むなく欠席の時はメークアップしよう。先輩達が大切に守って来たものを疎かにしてはいけないと思って実行しています」と、こういう若い方もお見えになるわけです。「言わずもがな」とはこのことでしょうか。しかし本当のロータリーは、そんなもんじゃないと先輩は仰るでしょう。私は、何年か掛かってゆるんだ箍は、やはり時間を掛けて絞め直す方が、正しいのではないかと思うのです。このことは皆で改善努力しなければなりません。たとえばロータリアンの意識改革ならもっと先輩の率先垂範が求められます。
 私は今期、脚下照顧を標語として、四つの目標の内、「理想主義でなく、持続可能な方法で、もの事に取り組もう」と主張しております。黙っていても伝わることもあるのです。出席率の百パーセント実現は可能と信じています。
 今日は、この後、地区新世代委員長の加藤康治さんに卓話をお願いしております。こちらからお願いしながら、プロジェクターもスクリーンもご持参で来て頂いております。誠に申し訳なく思っております。これぞロータリーの友情の発動と感謝致しております。
 ありがとうございました。
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2006年08月23日

エンディング・プラン

 孔子様は「我れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲す所に従えど、矩を踰えず。」と仰いました。私は、六十になった時、五年間の「余命計画」を立てましたが、もちろん健康であっての前提です。
 一昨年会長エレクトを拝命して、大きく予定変更を余儀なくしましたが、来年会長を終えると、ちょうど六十五才になりますので、もう一ぺん計画し直しです。余命計画はあまり長期はいけませんで、それからは三年ごととします。そして七十過ぎたら二年ごとのプランを立てようと思っています。
 つまりいつ死んでも後悔しないようにしたいという願望で、まず自分の意志を明確にしておこうというわけです。
 出来れば辞世の句でも書けるような心に準備しておくとか考えるのだが、立派な人だってそんなに大したこと言ってません。「鎧戸を開けてくれ、もっと光を。」とこれはゲーテが死の時に残した言葉だそうでチョットキザなセリフであまり参考になりません。「もう眠りたいから静かにしてくれ」と言ったのはョ山陽、国学者だからもう少し小難しいことでも言ったかというと、そうでもありません。もちろんこれは今際のきわに言った言葉で「辞世」とは違いますが、よく知られたものでは皆様ご存知の
「忠臣蔵」で知られる播州赤穂藩主浅野内匠頭の「辞世」。
「風さそう 花よりもなお われはまた 春の名残りを いかにとやせん」
 田松陰は
「吾今国の為に死す 死すとも君親に背かず 悠々たり天地の事 鑑照は明神に在り」
後世名を残したような人は必ず名句を残しておられます。
 最後の演出をその人らしくやったのは何といってもこの人以外に無いでしょう、今から約二百年前、弥次郎兵衛と喜多八の道中物語「東海道中膝栗毛」を二十年かかって書き上げたという十返舎一九だ。
「この世をば どりゃお暇をせんこうの 煙りと共に 灰さようなら」
と書き残して死んで行ったそうで、辞世をシャレで歌い込むなど実に粋じゃありませんか。
 この話はまだ続きがありまして、彼は、弟子達に「死んでから決して私の体は湯灌なぞするな、今着ているきもののまま、納棺して茶毘に付せよ」と、遺言したそうで火葬の際中に驚いたことに花火のカンシャク玉を密かに予め縫い付けておいたようです。ここまでは出来ません。

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