2012年10月27日

耳掻一杯の人びと

 ものごと何でもそうですが、一目見ればすぐ解ってしまうものとか、ちょっと調べれば、理屈が解るとか、ようするに単純なものはすぐあきられるものですね。そこへいくとロータリーはなかなか難しいからあきない、一言では言い表わすことは出来ないし。十人十色というように一人ひとりの人生観と同じくロータリー理念は十色の解釈が出来る。切り口によっては、さまざまな論理が成立する。ロータリー理念はもともと善行の結晶ですから、どっちから見ても、良いと勝手に思っています。
 最近、職業奉仕の考え方について、議論が盛んなようです。私は職業奉仕はロータリー運動の根幹というふうに思っています、問題は色々な団体への助成金のあり方とか、物の贈呈、寄進、ボランティア援助にお金を掛けることについて、原点に帰ろう運動があるようです。この議論は昔からあるようでロータリーの歴史をたどりますと、例えばオハイオ州でロータリアンの、エドガー・アレンという人、そのころ「キワニス」とか「ライオンズ」とかが結構いろんな活動で目を引いているのを見て、ロータリーでも何かしなくちゃと始めたのが即ち、身体障害児の保護、施療、教育でした。社会的弱者への奉仕、今も昔も変わりません。最大の人道的貢献であるとしてロータリー運動に最も相応しいとされている。
 しかしその時、それは違うと異をとなえたのがあの「最も奉仕するもの、最も多く報いられる」の標語で知られるアーサー・シェルドンさんです。一つの社会問題を取り上げて、その全てをロータリークラブが解決すべきというようなことは論外のことであるというのです。ごもっともなことかと思いますが。ここの部分は、今度のRI会長ウィルキンソンさんも仰っています。「新世代は、ロータリーだけの問題ではなく、人類全ての未来に関わる問題なのです。」と。そりゃあそうでしょう。
 そこでロータリーの姿勢のことについて分りやすく解説されているのが、大村北ロータリークラブの佐古さんの著書で「ロータリーの森を歩く」に、ロータリークラブというのは、耳掻き一杯ほどの職業人をもって、非常に深い親睦を達成するにあるのだ。と述べておられます、そしてその深い親睦というのは経済秩序を健全化することにあるのだとも仰っています。で、職業的社会生活が必然的に持っている欠陥を是正し、自由競争を前提とする社会に、秩序と掟を打ち立てることが出来るのがロータリーなのだ。というんですね。そうか、ロータリアンというのは、まず商道徳を守り、倫理を以って、身を収めることから始まるのか。しかし難しいですねこれも。

二〇〇七年五月十六日(第一一二五例会)
posted by まもる at 17:06| Comment(0) | 会長挨拶
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