2012年10月27日

菅  公

 ときどきいますね、私は無宗教だと、そういう人でもご先祖の墓参りはするでしょうし初詣にも出かけるものです。もともとこういった行為は自然なもので、改めて宗教とか信仰とか意識しないからかと思われますが。
 さて春といえば入学、進学の季節。時期はちょっと過ぎたが、どなたも一度は経験がおありでしょう「受験のための神頼み」のこと。お陰様で天神様は大忙し。「みんなに公平」かどうかは知りませんが。
 ご存知のように天神様は学問の神様で、菅原道真公の神号ですが、人間が神様になったのは、よく知られているだけでもあと二人、徳川家康公は天台薬師の権現様として東照宮に祀られていますし、豊臣秀吉公は太陽(日輪)の申し子といわれているので、豊国大明神の神号を皇室より与えられたそうで、その豊国の名号は、日本国の別名、「豊茸原瑞穂国」の上下から取ったと伝えられています。この三人の内、道真公が祀られている天満宮が一番親しみをもってお参りされているように思いますが、それはやはり学問の神様として信じられているせいと、もう一つ天神様の社数が多いこと。日本全国の神社数約「八万社」の内、道真公を祀る天満宮は「二万数千社」あるそうですからね。
 ところで菅原道真公を神としてお祀りしたのは、そもそも非業の死を遂げた道真の「怨霊」を鎮める為に祀られたものと言われています。 「東照大権現」やら「豊国大明神」さんとはちょっと違う。
 道真さんの家は代々学問でお仕えして来た家柄、天皇の覚えも厚くとんとん拍子の出世に妬みはつきもの。左大臣藤原時平の「讒言」に合って昨日まで右大臣だった人が、筑紫の国大宰府へ左遷というか流刑。四人の男子は土佐や播磨に流され奥さんと女の子一人都に残され、文字通り一家離散でお気の毒の限りです。いよいよ屋敷を去る時、別れの歌を残したのがこの歌
 「東風吹かば匂いおこせよ 梅の花
      あるじなしとて 春な忘れそ」
 そうして後ろ髪引かれるつらい別れ、妻に対する憐愍の思いがひしひしと伝わって来ます。
 「君が住む宿の梢をゆくゆくも
      かくるるまでに かへり見しかな」
 道真さん五十七才。配所先(大宰府)から赦免を願うもかなわず病を得て遂に観音経を念じつつ薨去。時に延喜三年(九〇三)二月二十五日享年五十九才。
 さて、この人の死後、京の都は大荒れで天変地異が続き、御所の清涼殿に雷が落ちて死者が出る、醍醐天皇も病気に取り付かれ死去。これがすべて道真公の怨霊の祟りと恐れおののき、朝廷自ら神社を建て、その霊を慰め各地にこれを奨励したという。全国にたくさんあるはずです。いわゆる天満宮の天神様であります。
 孫のお受験や商売繁盛のお願いばかりでなく、たまには道真さんの無念をお慰めにお参りしてはいかがでしょうか。

二〇〇七年四月十一日(第一一二〇回例会)

posted by まもる at 17:03| Comment(0) | 会長挨拶
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