2006年11月08日

士、農、工、商、と その他

 ためにもならない昔話しかもしれませんが、お聞き下さい。江戸中期の政治家田沼意次という老中職。幕府御用達の悪徳商人と癒着して金権まみれの御政道、「よくみつぐ者は、多く報われる」と、何処かで聞いたようなフレーズですが十五年続いた悪政も終り、次に登場する老中松平定信(天明七年・一七八七年)、だいたいこういうことは前が悪いと次がやたらと期待が大きいものです。この人、早速倹約令をしき、農政に意を注ぎ、学問や武芸を奨励し、特に戦が無い為に箍がゆるんだ武士の秩序は乱れっぱなしであった為、武士道を再教育すると云う、幕政の立直しに尽力したいわば功労者で、いわゆる寛政の改革をやった人。
 ダラシないことの大嫌いな定信さん、儀礼や作法についてもうるさかった。その中の一つに相撲界で抜群の力士に、横綱を締めて土俵入りをさせることを許したのが定信老中になって三年目(安政一年)の十一月、最初の横綱は、谷風、小野川だったそうです。(角力根元記)
 横綱の綱は、まさに注連縄で、神前のものであります。強い大関に注連縄を張らせ、神前において地固めのシコ(醜・邪鬼のこと)を強く踏ませて、いわゆる地鎮祭を行わせる。これは国土を固く踏み鎮め、天下の安穏を祈ることと言われている。
 ところで、真面目一本「石部金吉金かぶと」と異名をとる松平定信、江戸城内大奥連のうけはあまりよくなかった。ついに大奥連は、将軍家斉を動かして老中職を罷免してしまうという、清潔な政治を標榜した定信は、引退を余儀なくされたわけであります。
 この時代、さらに士風が廃頽し、一揆、打ちこわしの民衆による反対制運動が激化し、武家の封建支配の瓦解期に入ったとされている。
 自暴自棄に代官や、地方役人に楯つくことを誇るような徒が、各地方に縄張りをもって士農工商の枠外の社会を作る無宿者や、博奕打ちの集団がふえていった。文化、文政、天保の時代。そのころ江戸中で有名だった盗賊鼠小僧次郎吉が捕えられ、市中引き廻しの上獄門にかけられた。これは天保三年のこと。(一八三二年)
 弘化、嘉永、安政の大獄、そして万延、文久、元治、慶応、明治と日本の夜明は急テンポです。皆さんどうですか。人間の営みなんていつの時代もあまり変わりませんね。ではまた。

posted by まもる at 00:00| Comment(0) | 会長挨拶
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: