2006年08月23日

エンディング・プラン

 孔子様は「我れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲す所に従えど、矩を踰えず。」と仰いました。私は、六十になった時、五年間の「余命計画」を立てましたが、もちろん健康であっての前提です。
 一昨年会長エレクトを拝命して、大きく予定変更を余儀なくしましたが、来年会長を終えると、ちょうど六十五才になりますので、もう一ぺん計画し直しです。余命計画はあまり長期はいけませんで、それからは三年ごととします。そして七十過ぎたら二年ごとのプランを立てようと思っています。
 つまりいつ死んでも後悔しないようにしたいという願望で、まず自分の意志を明確にしておこうというわけです。
 出来れば辞世の句でも書けるような心に準備しておくとか考えるのだが、立派な人だってそんなに大したこと言ってません。「鎧戸を開けてくれ、もっと光を。」とこれはゲーテが死の時に残した言葉だそうでチョットキザなセリフであまり参考になりません。「もう眠りたいから静かにしてくれ」と言ったのはョ山陽、国学者だからもう少し小難しいことでも言ったかというと、そうでもありません。もちろんこれは今際のきわに言った言葉で「辞世」とは違いますが、よく知られたものでは皆様ご存知の
「忠臣蔵」で知られる播州赤穂藩主浅野内匠頭の「辞世」。
「風さそう 花よりもなお われはまた 春の名残りを いかにとやせん」
 田松陰は
「吾今国の為に死す 死すとも君親に背かず 悠々たり天地の事 鑑照は明神に在り」
後世名を残したような人は必ず名句を残しておられます。
 最後の演出をその人らしくやったのは何といってもこの人以外に無いでしょう、今から約二百年前、弥次郎兵衛と喜多八の道中物語「東海道中膝栗毛」を二十年かかって書き上げたという十返舎一九だ。
「この世をば どりゃお暇をせんこうの 煙りと共に 灰さようなら」
と書き残して死んで行ったそうで、辞世をシャレで歌い込むなど実に粋じゃありませんか。
 この話はまだ続きがありまして、彼は、弟子達に「死んでから決して私の体は湯灌なぞするな、今着ているきもののまま、納棺して茶毘に付せよ」と、遺言したそうで火葬の際中に驚いたことに花火のカンシャク玉を密かに予め縫い付けておいたようです。ここまでは出来ません。

posted by まもる at 00:00| Comment(0) | 会長挨拶
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