2006年08月09日

あゝゆるすまじ原爆

 八月と言う月は、日本人にとって特別思いの深い月であります。今から六十一年前(昭和二十年)八月六日、広島に原子爆弾が投下され死者二十数万人。そして三日後の八月九日には、長崎(第一目標は「小倉」、目視投下出来ず第二目標の長崎となった)に二回目の原爆投下、これによる死者同年末までに約七万四千人、重軽傷七万五千人(中日新聞より)。あの時、ついに日本政府は御前会議でポツダム宣言の受諾を決めたわけですが、これはあまりに遅すぎた決定ではなかったかと思わずにはいられません。この戦争で失われた命は(軍人軍属を含め)二百万人と言われています。
 人の命は地球より重いとは誰が言ったでしょうか、広島・長崎を思う時、戦争とはいえよくこれだけの一般人を殺したものだと怒りが込み上げてきます。
 彼の国の聖書にこういうことが載っています。紀元前八世紀にローマに滅ぼされたコリント人へパウロが送った手紙のこと、「神は、汝らを耐え忍ぶこと能はぬほどの試練に遭はせ給わず。」神はあなたたちに耐えられないほどの試練は与えないよということですが、広島へ最初に落した後の惨状を天から見てこの神は何と仰せになったであろうか。で手紙の続きは、「汝らが試練を耐え忍ぶことを得ん為に、之と共にたどるべき道を備え給わん。」あんた達が自らこうなることを望むようなことをするから神はこの試練と共にたどるべき苦難を与えたのだ!」これを聞いたら私はとてもアーメンとはよう言いません。
 それにしても、我が国の指導者達のまとまりの悪さは、毎年終戦記念日が近づくと露呈する、このところ昭和天皇が仰せになったと言われるメモや、はたまたA級戦犯者の通達まで出て来て混乱が一層広がっている。せめて国民が素直にお詣りが出来るような話しに落ち着かないものかと思う。このまゝでは盆が来ても護国の霊はうかばれません。
 ロータリーも政治と無関係ではありません。昭和十五年、敵国となってしまった国際ロータリーを脱退、「同心会」という名で形を継続しつつ、戦後は「名古屋火曜会」と名を改め、昭和二十四年三月、ようやく国際ロータリーへの復帰が許され、同年一宮ロータリー開設、昭和三十八年稲沢ロータリーに続き、(旧)西春日井ロータリーが昭和五十年、そして我が尾張中央ロータリークラブは昭和五十九年一月三十日創立という戦後の歴史、ここにも平和であればこそと今更感慨をあらたにせずにはいられません。
posted by まもる at 00:00| Comment(0) | 会長挨拶
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