2012年10月27日

武器よ本当にさらばだ

 またかという感じですが、先月米国で大変痛ましい事件がありました。三十二名もの若い人が命を落しました。この国の銃規制はいったいどうなっちゃっているんでしょう。
 銃砲の厳しい規制に反対している論者らはよく飲酒運転で死亡事故が起きたと同じだとして、車や酒が悪いんではなく、飲酒の上ハンドルを握った運転者に責任がある。と同様に、銃撃事件の犠牲者に責任を負うのは銃ではなく、発砲した人間にあるなどと言ってます。
 米国人の銃への思いは、解らぬでもありません。新大陸への入植以来、護身のためまた狩猟や開拓、そして独立といった目的に銃が大きな役割を果してきた歴史がある。(中日新聞社説) 武器の考え方一つとっても、国の成り立ちや歴史が、ものの考え方に大きな違いをもたらすということがわかります。古くは我が国でも民百姓までみな武器を持っていた時代がありましたが、天正十六年(一五八八)豊臣秀吉による 「刀狩」 があり、そのあと明治九年(一八七六)今度は本格的な廃刀令を施行。軍人や警察官らの制服着用時間以外に帯刀することを禁じた「太政官布告」によるものでこの時はさすがに旧幕臣達、戊辰戦争に生き残った武士、明治政府からいうと「不平士族」の激しい抵抗があったようです。世に言う「神風連」の乱。萩とか秋月とかであの映画ラスト・サムライのモデルになった出来事でした。
 そもそも武器を持つ意味と、そして戦う意味はあの国と日本では大きな開きがあります。相手の目を見て一人の敵と戦う、そして一つの命と引替えに得るものは何かを大義とともに考える。そんな戦い方に比べ、あちらでは、あくまで合理的に顔も見えない相手を遠くの方から制圧する手段の銃は、開拓時代にいかに原住民を合理的に制圧するかが目的で次々開発する銃の中で、最初の機関銃は、一分間に六十発の発射能力であったが、すぐに二〇〇発に性能が上がる。
 ところで明治政府は遂に米国の薦めによって、一丁千五百ドル(あまり正確ではないかも)で軍にこれを導入する。一方新政府に反対する旧幕臣武士団、近代兵器を一切拒否し、刀と弓だけで官軍に突撃していった武士達。彼らが伝えたかったものは何かは別として。
 あのとき制圧する側の官軍ですら機関銃による掃討、これは闘いではなく「屠殺」だとし、正視出来ない光景に銃撃を制止したと伝えられている。
 話は元へ戻しますが、日本ではとおの昔に、武器を持つことを禁止しました。ですからまったく信じられないようなことですね。一〇〇年前ならいざ知らず文明国のお手本だったあの国が、今だに一般市民が武器を持っていないと不安で生活出来ないなんて。

二〇〇七年五月二日(第一一二三回例会)

posted by まもる at 17:05| Comment(0) | 会長挨拶

ロータリーの理想と現実

 「悪銭身に付かず」と言いますが、悪銭をまんまと取り込んで、約束は平気でほごにするしたヽかなあの国、大国も手玉に取られて形は無い。せっかく大怪我にこりて「戦争は、永遠にしない」と決めた私達も、この理屈の通らない相手が近くにいるとそうもいっていられないというあぶない理屈も出て来る。降り掛かる火の粉を防ぐ道具や使うための練習もいるし、いざという時に必要な心構えも平生もっていなけりゃいけないと、遂にあの法律を改めることになりそうだ。
 国際ロータリーでは、第二次大戦後ロータリアンも手に手をつないで歌を唄うだけではだめだということで、もう六十年も前に「世界平和樹立のための八原則」なるものを実は提唱し、積極的に平和に資するべしとしています。
 そこでその中の一つですが、「愛国主義に捕われず、自分が国際理解と親善と平和を推進するという責務を負っているものとする。」というのがあります。愛国主義に一番捕われているのはどなたの国かと問いただしたくなりますが、そういう私達の国も愛国心を育てる教育が着々と進んでいます。
 ロータリーの理想と精神は他国との紛争や戦争防止に本当はどうなんでしょうか。
 そこで憂うべきは一方に片寄った考え方をすることで、実に危険であると先哲は忠告しています。
 「勇力の男子 勇力に斃れ
     文明の才子は 文明に酔う」
 「君に勧む須く 中庸を択び去るべし
     天下の万機 一誠に帰す」と!
 日本には昔から儒教の教えに「中庸」という考え方があるのです。
 それにしてもあの国を真人間にするのは並大抵では出来ませんね。そこで先ほどの 「RI世界平和樹立の八原則」その二、「どこかが貧困であれば、全体の豊かさを危うくすると認識し、あらゆる国の人々の生活水準を高めようとする措置を支援する」というもの。貧困と格差が争いの根源だとわかっているのですが、むしろそれ等を助長すかのような今日の世相、ロータリーがこれを是正実践できたら素晴らしい。

二〇〇七年四月二十五日(第一一二二回例会)
posted by まもる at 17:04| Comment(0) | 会長挨拶

春の家族会

 本日はようこそ春の家族会に多数のご参加を頂きまして誠に有難うございました。春はとてもお天気が不安定な季節で、今日も晴れるでもなければ、雨でもない花曇りのような雲天ですが、これから向かう近江八幡、中でも水郷めぐりとお昼の近江牛は楽しみなところでございます。
 この琵琶湖周辺は歴史や詩歌をたしなむ人達には絶好の題材地で、もう何度もお出でになった方も多かろうと思いますが、こうして車窓から眺める景色も来る度ごとに変わっていきます。つぎつぎと開発の波が自然美を駆逐しているようにも思えます。自然環境や景観を残すことと個人の生活権とのバランスが一番難しいのでしょうか。だから残ってるうちに早く見ておかなくっちゃ、という思いも致します。
 ロータリークラブでは、環境保全への活動を奨励するため、一九九〇年から既に取り組んでいます。特に世界的に影響を与えている緊急な問題についても、RIが各国足並みをそろえて実行するよう努力しているようですが、いずれにしても、遅々として進みません。
 今年私共クラブのテーマに添って考えるなら「脚下照顧」とりあえず私達は他郷のことよりもまず自分の身の廻りの町のことをしっかり考えることにしましょう。
 もうすぐ水郷へ到着します。屋形船が見えて来ました。
「堅田の落雁 比良の雪、
   湖上の風光 此の処に収まる」
 大江敬香の詩『近江八景』の一節ですが、いつまでも近江の美しい景色が変らず在ってほしいものです。              (春の家族会 観光バス車中にて)

二〇〇七年四月二十一日(第一一二一回例会)
posted by まもる at 17:04| Comment(0) | 会長挨拶