2012年10月27日

信用ということ

 私達は日頃、ロータリーは慈善団体ではない、職業の倫理を高めることによって社会に貢献しようとする職業人の団体です、と常々言い合ってはいますが、具体的にどうなのかという問いに佐藤千寿氏の近著「道徳と資本」が分りやすい例を引いて述べているのを参考にさせて頂きますとこうです。
 「世界で最も尊敬されている企業」ジョンソン&ジョンソン社のことであります。全米医薬品業界のトップ企業、この会社の信条というのがまず責任対象とする順序を次のように揚げている。
 第一に消費者(顧客)、第二に社員、地域共同体、そして最後に株主としている。会社は株主のものと言う論理が最も多いこの国では異例だといわれていました。これが単なる口頭禅ではなく、実証しなければならない事態に遭遇する、それは一九八二年に起こった事件。「タイノール」という薬で、アメリカでは一般的に利用されている鎮痛剤に何者かが青酸カリを混入し、多数の死者を出したといいう事件。日本であった「森永砒素ミルク事件」みたいな事件ですが、この時の対応の違いはいうまでもないわけです。まずあらゆる手段で商品を回収し、外部の犯人による仕掛けで会社に責任は無いけれど「人命に関わる問題の解決を最優先とし、たとえ会社がその膨大な損失を蒙って潰れようと止むを得ない」として被害者救済に当ったという。しかしこれによって逆に会社の社会的信用度は一挙に高まったと言われています。
 ロータリーの唱える職業倫理、職業奉仕の実践的解答がここにあるように思う訳でございますが。たゞ株式公開上場会社であっても、ここの会社のように経営者が断トツの筆頭株主であったからで、普通はそうはいかない、そこに今後ロータリーが職業倫理の実践を進めるに大きな問題としてあるように思うと佐藤千寿氏の著述にある。
 一つの会社が株主と経営者による別の形態を為す現在、会社は経営者と所有者が一体であった頃に出来たロータリーの職業倫理は一度見直さなければという意見も分かるように思います。
 商道徳をひたすら守って、百年の暖簾の老舗でも、俄に出来たチェーン化された利益追求のみのベンチャー企業に負けて廃業するというご時世、経営者だけに職業倫理をいうより、むしろ一般投資家から株主に到るまでこれを問う方が先決だが、そうなるともうこれはロータリーの役割では無いのかも知れない。

二〇〇七年六月十三日(第一一二九例会)
posted by まもる at 17:08| Comment(0) | 会長挨拶

再会

 最近映画が静かなブームのようです。先日の日曜日、久し振りに石原慎太郎制作の映画を観ようと出掛けたけれど満員で断念、その代わり、そこにあったシネマクラシックDVDのあまりにも懐かしい題名に出会って購入、はやる心を抑えながら、家にとって帰ってテレビにセット。孫が来ていて何か言ってるが、ほっといて自分だけわくわくしながら映像に魅入っておりました。あゝなんと懐かしいこの音と場面。
 実はこの映画、私が中学二年の時に兄に連れられて観た忘れもしない思い出の映画だ。ヘミングウェイの「誰が為に鐘は鳴る」で、この映画を観た頃の私はまだ少年ですから、画面に登場する俳優のカッコ良さ、女優のめちゃめちゃ綺麗な事、今で言うイケメン俳優のゲーリー・クーパーとイングリット・バーグマンですが、邦画には無いダイナミックさが私を虜にしたんです。
 へミングウェイでは「老人と海」や、「武器よさらば」もありましたが、なぜか私には、最初観た「誰がために鐘は鳴る」が印象的でした。
 この物語は、一九八三年頃のスペイン動乱を舞台に、橋梁破壊の密命を受けたゲリラ工作員として派遣されたアメリカ青年の物語で、特にラストシーンで追い詰められた主人公達、仲間と愛する女性を先に逃がし、一人追手を向かえ撃つ場面。少年だったあの時は、ゲーリー・クーパーの男らしいカッコ良さのみで、命を賭して仲間を救おうとする主人公の心境とか何も分からず、強烈な印象のみが記憶に残ったまゝだった。いつかそのことの意味を知りたいと思いつつ時が経って、最近やっと原作を読んだのも偶然だった。
 少年のころ観た映画とその内容は、六十五才の今原作を読んでみて感じるものとは当然違いがあるが、しかし遠い記憶の中の映像と、原作の文中から湧き出るような想像は程よく頭の中で画像処理されて、この物語をより深く知る事が出来たのは新たな喜びでありました。
 たゞどうしてもあの映画で演じた俳優の、あの場面が観たいという思いは断ち切れなかったが、日曜日とうとうその思いが叶ったのです。観終えた感想を率直に言えば、そんなに興奮する程でも無かったというか、少年の時に脳裏に焼き付いた強烈な印象とは違っていた事だけで、思い出はそっと残した方が良かったかも知れないなと今は思っています。どうか皆さん、死ぬまでにもう一度観たいとか、誰かに逢いたいという思いは、想い出のみにそっとしておかれることをお勧めします。

二〇〇七年六月六日(第一一二八例会)
posted by まもる at 17:07| Comment(0) | 会長挨拶

長寿のポイント

 皆さん、どこかでお聞きになったことがありませんか「ピンピン、コロリ」略してPPK=B 「ピンピンと生きてコロリと死ぬこと」だそうで、この言葉、生まれたのは長野県下伊那郡高森町だそうです。これを広めたのは、医事評論家の水野肇さんの著書「PPKのすすめ」で、出版以来有名になったと医療ジャーナリストの大谷克弥さんが法人会の機関紙に紹介しております。それによりますと、日本の長寿マップは、大きく様変わりしてきたようです。長い間、長寿県日本一は沖縄であったのがここへ来て、長野県に抜かれたというのですが、その長野県の健康、体力づくりのキャッチフレーズがこれ、「PPK」でピンピン生きて、コロリと死ねるような健康管理こそ理想としている。その運動が功を奏してか、今や長寿日本一の県とは興味深い。
 これは或る年令になると誰でも描く、人の世話にならずにコロリと死にたい願望の表われで、もう一つは、苦しまずにポックリというのが最も理想としている理由だが、なかなかそうは行かないのが現実である。老年学の専門家によると、ある日突然ポックリ、というのは、老齢死亡の最大限一割弱だそうです。それにしてもピンピンコロリとはゴロがいい。健康管理も楽しくなる。
 ところで人の生死は自身では決められない、医学が進んで生まれ来る命も自在のようではあるが、これとて自分で自分の命を生み出す訳ではない。ただ死については自分で最も自分らしい終わり方を想像することは出来る。
 それにしても、過日の現職大臣の自殺とか、疑惑の渦中にあった元理事長の後追いのような最後、真相は解らぬまヽでしょうか。いずれにしても自分であれ、他人であれ命を粗末にするに変りはない。この世に命より大切なものがあるのか、に対しこの方々は「ある!」としたのでしょう。しかし、あのPPK運動のような、昨日まで精一杯、一生懸命生きて、人に迷惑かけず、今日コロリの理念とはほど遠い命のあつかいではある。

二〇〇七年五月三十日(第一一二七例会)

posted by まもる at 17:07| Comment(0) | 会長挨拶