2011年02月27日

日本のロータリー復活

 二月は世界理解月間でございます。
 ご存知のように国際ロータリー定款第四条の第四節には「奉仕の理想に結ばれた、事業と専門職務に携わる人の世界的親交によって、国際間の理解と親善と平和を推進すること」。と謳っております。
 一九二一年にロータリーの綱領を改正し、「国際理解と平和の推進」が取り入れられたそうで、これは第一次世界大戦後の生々しい記憶が、平和への願いを強めたのではないかと推測されます。従って国際ロータリーでは、この時から色々な奉仕プログラムが実施されるようになったと言えるようです。ロータリー財団プログラムひとつ取っても、保健や飢餓追放及び人間性尊重プログラムであるとか、教育面では国際親善奨学会、更にロータリー平和及び紛争解決研究プログラムとか、これなんかはどんな活動をしているんでしょうか知りたいものですね。
 たとえば、世界中ほとんどの人が武力だけでは解決しないとわかっているのに、未だ社会保障費をカットしてまで、戦費拡大を計らなくてはならない気の毒な国へぜひこのプログラムが活用されるべきかと思いますが。
 ところで昭和十五年(一九四〇年)というと、第二次世界大戦勃発の翌年で、日、独、伊三国同盟締結、いよいよ大きな戦争へ流れて行く時、日本ロータリーは、国際ロータリーから離脱してしまいます。昭和十六年(一九四一年)ついに米国と開戦、十二月八日には、あの真珠湾攻撃、そして太平洋戦争と拡大していってしまいました。
 昭和二十年(一九四五年)それまでに戦争にも人道的ルールはあったのですが、これを破ってまで使われた人類初めての無差別大量破壊兵器、二発喰って終戦。心を入れ替えた日本、昭和二十四年(一九四九年)国際ロータリーは、日本ロータリーの復帰を許すのですが、戦時中の九年間、それこそ隠れキリシタンのように軍部の弾圧にもロータリーの思想の重要性を信じて疑わず、東京水曜会とか、神戸木曜会などと名を変えてロータリーを守り抜いた。(佐古亮尊著「ロータリーの森を歩く」)あの時、国際ロータリーはこれに痛く感動して、この期間を正当なロータリー運動と考えるという決定を下したのだそうです。
 それにしても、あの大戦の真っ最中に、よく敵国の思想を守り抜けたものと感心しました。
 本当に、先人達がそれまでして大切に繋いできたロータリーですから、大事にしたいものです。それには例会出席の悪いのを、会員の義務だから出なさいなどと言わなくていいようなクラブになることがまず最初に望まれることでしょうね。
二〇〇七年二月十四日(第一一一三回例会)
posted by まもる at 16:57| Comment(0) | 会長挨拶

2011年02月17日

悲しみを踰(こ)えて

 去る一月二十九日小島四郎パスト会長、二月五日には、鈴木二三雄パスト会長と連続でクラブの重鎮を亡くし、悲しみの二週間でしたが、クラブでは重大行事を目前にしての今日、故人を偲ぶ心は胸に留めて辛くとも、次の行動に移らなければならない状況です。ライラセミナーまであと一ヶ月余りに迫ってまいりました。実行委員の皆様には、引続きご協力賜りますようお願い申し上げます。
 それにしても二週連続で弔辞を読む事になろうとは、想像もしなかったことです。亡くなられた鈴木さんとは、私がゴルフを趣味としていない為、あまり接点がありませんでした。弔辞を述べるに、何よりお力になっていたゞいたのは丹羽パスト会長のアドバイスでした。本当に有難うございました。
 (一九九七〜一九九八)鈴木年度の唯一の功績は、薬物乱用防止運動でした。この運動の評価は高く、時の犬飼ガバナーから会長賞(国際ロータリー会長表彰の中で最も大きい賞で「意義ある業績賞」と云い一地区に一事業のみに授与されるもの)が贈られたこと、それから何といっても愛妻家の鈴木さんは、事あるごとに夫人同伴例会が多かった様に、今でも思い出します。
 いずれにしても、小島さん、鈴木さんと、ふたつの大きな星を失った当クラブではありますが、既に次の世代がクラブを支えてくれています。それを立証する場面が今年度幾たびかのホストクラブとして務めた例会、懇親会にあらわれていると私は思っています。若いメンバーの活躍がこれからも楽しみです。
 小島さん、鈴木さんどうぞ天界から見守っていて下さい。改めてお二人のご冥福をお祈り申し上げ、ご挨拶と致します。
二〇〇七年二月七日(第一一一二回例会)

posted by まもる at 16:56| Comment(0) | 会長挨拶