2006年09月27日

一隅を照らす

 今日は、十月十一日の地区ガバナー公式訪問に先駆けて、西尾張分区山内登ガバナー補佐並びに岩田勝美補佐幹事がお見えになっております。あとで卓話を頂き、アッセンブリーでは細かくご指導いたゞけることと思っております。
 私共の住まいする北名古屋市高田寺。昔はこのあたり一帯を寺領としておりました名刹医王山高田寺。今から一二八六年前、養老四年(七二〇年)奈良時代に創建された寺で、宗派は天台宗です。
 天台宗の標語に「一隅を照らす」という言葉があります。これは、宗祖伝教大師最澄のお言葉で住職の法話にも必ずこれを仰います。
「国宝とは何者ぞ、宝とは道心なり、
  一隅を照らす、此れ即ち国宝なりと。」
 実は「ロータリアンの一口ばなし」という本がありますが、その中に 一隅を照らす奉仕=@という見出しで、「東京に住むある主婦の話しである」としてこんな話しが載っていました。
 冬の寒い日、近所で水道工事をしている工夫の人達に寒い中をごくろうさまですとお昼のとき温かい味噌汁と熱い茶を振舞った。
 五日ほど続いて工事が終った時、奥さんから受けた温かいお気持に感謝して家の回りから溝に到るまで綺麗に掃除して、見違えるようにしていったというお話し。
 ロータリーの奉仕も、このようにつつましく一隅を照らすものでありたい。と書かれていました。
 実は私も十数年前になりますが、家の前の道路工事があった時、茶を振舞った事がありましたのでその時のことを思い出しました。
 奉仕は、美談として語られなくて、ありふれた日常の出来事に過ぎなくなるような世の中が、我々の求めるものではないでしょうか。
 ロータリーの奉仕の精神に、金を集めて多く施せとはどこにも書いてありませんと結んでありました。
 考えさせられる一文であります。

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2006年09月20日

例会出席の意味とは

 人間の本性を賢人はこう言っております。孟子の言う性善説、荀子の言う性悪説、そして揚雄の善悪混合説とこのように三通りの見分け方が言われています。私は両面あって人間と思うのですが、このところ頻繁に起こる飲酒運転による悲惨な事故、飲酒運転は犯罪であると解っていても止まらない。取締る側から見れば、これはもうどうにもならない性悪人間達だから、罪をドンと重くして性根を叩き直すほか無いとす
る、しかし元々性悪な人間どもだから、事故を起しても今度は怪我人の救済どころか、飲酒がバレないようその場は逃亡する。こうなると最悪です。なんとかこの悪に対する罪と罰が正しく作用するような仕掛けはないものでしょうか。
 それはさて置いて、ロータリーでは、例会に出席することが最も大切なことであります。何事もここから出発し、そしてここで終了する場なのです。
この例会の一時間、競争のない世界で心を許し、自分を取りもどして、他人のことや社会の問題を考えるゆとりを持てるわけであります。そして元々性善な考えを持つ人々の集まりであるこのクラブは、奉仕の実行について語りあい、又、互いの職業に理解を深め、そこに求めるもう一つの奉仕のあり方など議論し合える素晴らしい例会、素晴らしい時間を共有出来るのです。
 しかし、止むを得ず欠席を余儀なくする場合、例会出席に劣らぬほどの理由を申告されるならば、むしろ名誉を賛えるべきというようなこともあってよいと私は思うのですが、いかがでしょうか。ロータリーは互いに理解し合い、助け合っていく。中にはルールは解っていても徹しきれない人もいるわけで、私は、そういう人達の持つ性善を信じ、善の部分を拡大する方法に依って、間違っても落後者を出さないようにしなければ、本当の例会出席の意味は無いと思うのです。
 ロータリーの理想を、
「山高くして貴とからず」としてはならないと思っています。

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2006年09月13日

善行の定義

 先日第三回ライラセミナー実行委員会、担当委員の皆様大変ごくろうさまでした。二日間に亘る会議は、ひたすらセミナーの成功を願って実りある議論をしていただきました。ありがとうございました。後ほど実行委員長よりご報告いたゞけると思います。
 さて、皆さん「施し」と書いて、ホドコシと読むわけですが、物の本によれば「人が困っていたり、恵まれない人があれば物質的に援助を与えることだと言います。
 「他人を心から助けようとする行為は、必ず自分自身をも助けることになる。そしてこれは、人生の最も美しい報酬のひとつである。」とは米国哲学者ラルフ・ウォルドー・エマーソンの言葉であるとロータリーエイジに載っていましたが、洋の東西を問わず、人のために何かをするということは人として大切なことだとの教えは変りません。
 我々ロータリアンには話しの中に必ず出て来るのが They Profit's Most Who Serves Best=u最もよく奉仕するもの、最も多く報いられる」すばらしい理念として私達は奉仕活動のよりどころと考えています。たゞ見方を変えてみますと「よく奉仕すれば、自己を益することも又大である」と言うわけですが、ちょっと違うなあとこのごろ思うのは、以前行ったことがある京都嵯峨の小倉山二尊院で見た、心の糧七ヶ條の1つにこうあります。
「此の世の中で一番尊いことは、人の為に奉仕して決して恩に着せないことである」と。奉仕しても報いをもとめない、これがこの国の美意識として、幼いころから教えられて来た善行の定義だったと思います。
「かけた情は水に流し 受けた恩は石に刻め」と。とことん仕込まれた私達は、報いを求めて奉仕する(たくさん奉仕すれば、たくさん報いられる)に戸惑いを感じているのは私だけではないようです。不勉強な会長の問題解決にどなたかいい智慧を施して下さい。

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