2006年08月02日

御旦那衆の豪気なこと

 昨日第二回の西尾張分区会長、幹事会がありまして、席上の議題はGSE(研究グループ交換)派遣メンバーの受入れに関するお話しで、五名の派遣メンバーをどのようにお世話するかのことで、分区内九クラブでこれを率先して受けようと言うクラブは出ずまま、もう一度話し合おうと散会しましたが、私共のことを棚に上げて言うをお許しいたゞけるなら、こう言う話しがスムーズに行かない理由は何なのだろうと考えてしまうのです。
 昔むかしのお話しです。昭和四年九月十五日、名古屋に初めてゴルフ場が出来た時のこと、実は私はゴルフを致しませんのでこのこと事態は何の興味はありませんが、スゴイなと思うことがそのいきさつにありました。ゴルフ場計画を持ち出したのは、昭和二年、当時名古屋ロータリークラブ会員の伊藤次郎左衛門祐民氏だそうで、名古屋商工会議所頭でもあった方です。この頃東京、大阪に比べて、名古屋に不足しているものが三つあった。その一がゴルフ場、二がホテル、三が飛行場だったそうです。ホテルと飛行場の建設を県や市に話し掛けても大変お金の掛かることでなかなか乗らない、そこでゴルフ場くらいなら我々の手で作ろうではないかと、結局竃シ古屋ゴルフ倶楽部の設立にはそのほとんどが名古屋ロータリークラブの会員で構成されたが驚いたのは、これがちゃんとしたクラブ事業として行われたと言うことだった。
 さて名古屋に不足しているものの内、ゴルフ場は出来た。問題は残る二つ、ホテルと飛行場。様々な努力が実を結び、名古屋商工会議所を中心として地元有力者のご尽力で、昭和九年十一月一日名古屋港十号地に「名古屋飛行場」が建設された。更にホテル建設も名古屋財界が乗り出し、折りしも昭和十二年「汎太平洋平和博覧会」が名古屋で開かれる機会も相まって一気にホテル建設が進み、昭和十一年十一月「名古屋観光ホテル」の誕生となった。(中部経済新聞「奉仕の理想」より)
 その頃の御旦那衆と言うか、皆これロータリアンなんですが豪気ですね。それに比べてこの頃は、ボランティア団体等への助成金を削ったり、国際親善や友好関係を高める諸行事もやらないことはないけど率先してやると言う姿勢にはほど遠いようなわけで、豪気となると更に遠い。(豪気なことがすべて良いわけではないが)
 昨年創立百周年を迎えたロータリーも又新たな百年に向けて歩を進めるわけですが、折角のロータリー精神のいいところだけは、時代を超えて繋いで行きたいものです。
posted by まもる at 00:00| Comment(0) | 会長挨拶