2006年08月30日

ゆるんだ箍(たが)

 黙して語らず、を美徳とする考え方が私達日本人にはあります。黙っていても伝わることがあります。以心伝心とも言うでしょうか、又黙らなければ伝わらないことだってあります。
 今年六月に見た映画「単騎千里を走る」の中で、主演の高倉健が心の通わなかった息子とやりとりする中で、親の気持ちを伝える演技はセリフではなく、ほとんど黙した中で目と微妙な顔の表情だけでした。これは高倉健さんだからこそ似合う演技で、誰でもと云うわけにはまいりません。「目は口ほどにものを言い」ということでしょう。
「京都三条糸屋の娘 姉は十八、妹は十五、
 諸国大名は弓矢で殺す 糸屋の娘は目で殺す」
若い娘さんならなおのこと言葉は入りません。
 さて、沈黙することは、語らないことではないとはその通りです。暗黙の了解、暗黙の秩序ということもあります。政治家なんかは特にそのあたり非常にうまく使いこなさないといけないそうですが、私達ロータリアンは、大いに語り、大いに議論し、そして、そこに生れる良き事を「率先して」行動する。これは今期の大命題ですから一緒に実行してまいりましょう。
 最近、ロータリアンの規律が守られていないことに憂いを感じているという言葉をよく耳にします。特に出席率の低下はまぎれもない事実です。
 先日の夜間例会で、入会一年未満の或る会員さんが「例会出席の会員義務について、なぜそれが重要なのか解ってないけど、まず決りであることは実行しよう、止むなく欠席の時はメークアップしよう。先輩達が大切に守って来たものを疎かにしてはいけないと思って実行しています」と、こういう若い方もお見えになるわけです。「言わずもがな」とはこのことでしょうか。しかし本当のロータリーは、そんなもんじゃないと先輩は仰るでしょう。私は、何年か掛かってゆるんだ箍は、やはり時間を掛けて絞め直す方が、正しいのではないかと思うのです。このことは皆で改善努力しなければなりません。たとえばロータリアンの意識改革ならもっと先輩の率先垂範が求められます。
 私は今期、脚下照顧を標語として、四つの目標の内、「理想主義でなく、持続可能な方法で、もの事に取り組もう」と主張しております。黙っていても伝わることもあるのです。出席率の百パーセント実現は可能と信じています。
 今日は、この後、地区新世代委員長の加藤康治さんに卓話をお願いしております。こちらからお願いしながら、プロジェクターもスクリーンもご持参で来て頂いております。誠に申し訳なく思っております。これぞロータリーの友情の発動と感謝致しております。
 ありがとうございました。
posted by まもる at 00:00| Comment(0) | 会長挨拶

2006年08月23日

エンディング・プラン

 孔子様は「我れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲す所に従えど、矩を踰えず。」と仰いました。私は、六十になった時、五年間の「余命計画」を立てましたが、もちろん健康であっての前提です。
 一昨年会長エレクトを拝命して、大きく予定変更を余儀なくしましたが、来年会長を終えると、ちょうど六十五才になりますので、もう一ぺん計画し直しです。余命計画はあまり長期はいけませんで、それからは三年ごととします。そして七十過ぎたら二年ごとのプランを立てようと思っています。
 つまりいつ死んでも後悔しないようにしたいという願望で、まず自分の意志を明確にしておこうというわけです。
 出来れば辞世の句でも書けるような心に準備しておくとか考えるのだが、立派な人だってそんなに大したこと言ってません。「鎧戸を開けてくれ、もっと光を。」とこれはゲーテが死の時に残した言葉だそうでチョットキザなセリフであまり参考になりません。「もう眠りたいから静かにしてくれ」と言ったのはョ山陽、国学者だからもう少し小難しいことでも言ったかというと、そうでもありません。もちろんこれは今際のきわに言った言葉で「辞世」とは違いますが、よく知られたものでは皆様ご存知の
「忠臣蔵」で知られる播州赤穂藩主浅野内匠頭の「辞世」。
「風さそう 花よりもなお われはまた 春の名残りを いかにとやせん」
 田松陰は
「吾今国の為に死す 死すとも君親に背かず 悠々たり天地の事 鑑照は明神に在り」
後世名を残したような人は必ず名句を残しておられます。
 最後の演出をその人らしくやったのは何といってもこの人以外に無いでしょう、今から約二百年前、弥次郎兵衛と喜多八の道中物語「東海道中膝栗毛」を二十年かかって書き上げたという十返舎一九だ。
「この世をば どりゃお暇をせんこうの 煙りと共に 灰さようなら」
と書き残して死んで行ったそうで、辞世をシャレで歌い込むなど実に粋じゃありませんか。
 この話はまだ続きがありまして、彼は、弟子達に「死んでから決して私の体は湯灌なぞするな、今着ているきもののまま、納棺して茶毘に付せよ」と、遺言したそうで火葬の際中に驚いたことに花火のカンシャク玉を密かに予め縫い付けておいたようです。ここまでは出来ません。

posted by まもる at 00:00| Comment(0) | 会長挨拶

2006年08月09日

あゝゆるすまじ原爆

 八月と言う月は、日本人にとって特別思いの深い月であります。今から六十一年前(昭和二十年)八月六日、広島に原子爆弾が投下され死者二十数万人。そして三日後の八月九日には、長崎(第一目標は「小倉」、目視投下出来ず第二目標の長崎となった)に二回目の原爆投下、これによる死者同年末までに約七万四千人、重軽傷七万五千人(中日新聞より)。あの時、ついに日本政府は御前会議でポツダム宣言の受諾を決めたわけですが、これはあまりに遅すぎた決定ではなかったかと思わずにはいられません。この戦争で失われた命は(軍人軍属を含め)二百万人と言われています。
 人の命は地球より重いとは誰が言ったでしょうか、広島・長崎を思う時、戦争とはいえよくこれだけの一般人を殺したものだと怒りが込み上げてきます。
 彼の国の聖書にこういうことが載っています。紀元前八世紀にローマに滅ぼされたコリント人へパウロが送った手紙のこと、「神は、汝らを耐え忍ぶこと能はぬほどの試練に遭はせ給わず。」神はあなたたちに耐えられないほどの試練は与えないよということですが、広島へ最初に落した後の惨状を天から見てこの神は何と仰せになったであろうか。で手紙の続きは、「汝らが試練を耐え忍ぶことを得ん為に、之と共にたどるべき道を備え給わん。」あんた達が自らこうなることを望むようなことをするから神はこの試練と共にたどるべき苦難を与えたのだ!」これを聞いたら私はとてもアーメンとはよう言いません。
 それにしても、我が国の指導者達のまとまりの悪さは、毎年終戦記念日が近づくと露呈する、このところ昭和天皇が仰せになったと言われるメモや、はたまたA級戦犯者の通達まで出て来て混乱が一層広がっている。せめて国民が素直にお詣りが出来るような話しに落ち着かないものかと思う。このまゝでは盆が来ても護国の霊はうかばれません。
 ロータリーも政治と無関係ではありません。昭和十五年、敵国となってしまった国際ロータリーを脱退、「同心会」という名で形を継続しつつ、戦後は「名古屋火曜会」と名を改め、昭和二十四年三月、ようやく国際ロータリーへの復帰が許され、同年一宮ロータリー開設、昭和三十八年稲沢ロータリーに続き、(旧)西春日井ロータリーが昭和五十年、そして我が尾張中央ロータリークラブは昭和五十九年一月三十日創立という戦後の歴史、ここにも平和であればこそと今更感慨をあらたにせずにはいられません。
posted by まもる at 00:00| Comment(0) | 会長挨拶