2012年10月27日

会長退任挨拶

 今期掲げました目標も皆様の暖かいご支援とご協力により、その目的をほぼ達成出来ましたこと先ずお礼を申し上げます。
 さて今年一月ですが、三クラブ合同新年例会の前日、私の最も敬愛する小島四郎さんがお亡くなりになりました、奇しくもロータリー創設者ポール・ハリスの命日より一日前というのも小島さんらしさを偲ばせます。
 越えて二月五日には鈴木二三雄さんの訃報、立て続けての哀しい別れ、しかし私達は哀しみを乗り越えて、翌三月、ライラセミナーホストクラブとしてのお役目を今までの何処より立派にやり遂げました。このことは、今は亡きお二方への何よりの手向けとなったのではないかと思っております。
 本年度会長方針として「脚下照顧」〜足もとを見つめ直そう〜では、地元ボランティアグループや、青少年育成の為に活躍しておられる諸団体に助成の手を差し延べることが出来ました。
 最後になりましたが、この一年片山副会長さん、沖野幹事さん、理事・役員さんはじめ、各委員長の皆さん、そして各会員の皆さん、事務局の宮地さん、全ての皆様に限り無い感謝を込めてありがとうを申し上げ、退任の御挨拶とさせて頂きます。
 一年間ご協力ありがとうございました。
完   

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最終例会

 いよいよ最後の例会となりました。私が日頃愛吟する陶淵明の詩に
 「盛年重ねて来らず 一日再び晨なり難し」
 「時に及んで当に勉励すべし 歳月は人を待たず」
という詩があります。私は今期一年この詩を座右に置いて自らのお尻をひっぱたきながら、四十八回の例会に臨んでまいりました。「アッ」という間の一年でしたが、色々なこともありました。後ほど退任の挨拶で申し上げると致します。
 さて、今年度は特に世相を反映してか職業倫理についてよく議論が巻き起こりました。このところも頻繁に企業の不祥事が起こっております。中には羊頭狗肉を地で行くような食品会社など、考えられないような出来事が後を断ちません。
 道徳とか、倫理は所詮、二義的なものであるべきで、これを持ちださなければならないような時代は、それこそ理想的な社会のあり方では無いはずです。正に「大道廃れて、仁義あり」の例えでしょう。
 年度初めにガバナーのお話しで、だからこそ「原点に帰って、我々ロータリアンはその目的である職業を以って社会生活の浄化を目指すのだ」と仰られたのを思い出します。
 さてこの一年、拙い私の話しをよくお聴き頂いたと感謝致しております。同時に勝手に自分の人生観や、論理を展開して、釈迦に説法のような無礼を申し上げたこと、お許し頂きたいと思っております。
 ただ会長職を全うせんが為に進んで知り得た情報、読んだ数々の本、新聞の切り抜き、全てが私にとりまして宝となりました。このような機会を与えて下さった皆様に心から感謝申し上げなければならないと思っております。本当に有難うございました。この一年の貴重な体験を糧に冒頭の詩「歳月は人を待たず」の言葉の通り、残り時間を大切に今後の人生を充実して行きたいと思っております。
 瀧本年度会長挨拶、これで終ります。

二〇〇七年六月二十七日(第一一三一例会)
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敢えて自画自賛

 光陰矢の如しの一言をこれほど実感した一年はありませんでした。昨年七月五日(一〇八四回例会)から私の年度は始まり、今日で四十七回目の例会、あと一回で終わらせて頂きます。会長挨拶が長すぎるとのご非難を尻目に喋り続けた一年間、皆様とロータリーの友情に支えられてどうやら無事今日を迎えることが出来ました。来週は、最終例会で退任式でございますから、実際のお役目は今日で終了ということでございます。本当に一年間有難うございました。
 今日は、IDM(インフォーマル・ディスカッション・ミーティング)です。言葉の語源はともかく、裃を脱いで語り合う日でございますから、この一年の打ち上げとして、大いに語り合って頂きましょう。
 それにしてもライラセミナー一色の一年でしたね。私は地区新世代委員会に二年、地区ローターアクト委員会に一年出向しておりましたが、急遽クラブ会長のご指命を受け、熊澤勝則君に地区の後を引き受けて頂きましたが、見事にライラ委員長をお務め頂きまして、ライラセミナーの成功を導いて頂きました。
 もちろんこれを支えた当クラブの実行委員会の面々、大野眞一実行委員長を筆頭に、委員会メンバーの一糸乱れぬ行事進行は、ライラセミナーの内容もさることながら、当クラブ会員の層の厚さを知らしめることが出来、実に面目躍如これに過る事はありません。
 ガバナー主催事業といたしましてはやや日陰的存在でありましたライラセミナーに光りを当てたのは、まぎれもなく当クラブでありましてその功績は多大でございます。それを立証するに、去る六月十四日よりアメリカ・ユタ大学で開かれましたライラセミナー世界大会に、何と、当地区から初めて熊澤委員長が受講生を引率して大会に赴くこととなり、斎藤ガバナー、更に江崎ガバナーエレクトの絶大なるご支援と期待に送られて、出席致しましたことは、地区ライラ委員会十五年の歴史に留むべき快挙と言って過言ではありません。
 自画自賛はこれくらいに致しまして、話は戻りますが、とり敢えずこの一年のご協力に心から感謝申し上げます。本日は、時間の許すかぎりご歓談して頂き親睦を深めて頂きますようお願い申し上げ、私のご挨拶とさせて頂きます。

二〇〇七年六月二十日(第一一三〇例会)
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信用ということ

 私達は日頃、ロータリーは慈善団体ではない、職業の倫理を高めることによって社会に貢献しようとする職業人の団体です、と常々言い合ってはいますが、具体的にどうなのかという問いに佐藤千寿氏の近著「道徳と資本」が分りやすい例を引いて述べているのを参考にさせて頂きますとこうです。
 「世界で最も尊敬されている企業」ジョンソン&ジョンソン社のことであります。全米医薬品業界のトップ企業、この会社の信条というのがまず責任対象とする順序を次のように揚げている。
 第一に消費者(顧客)、第二に社員、地域共同体、そして最後に株主としている。会社は株主のものと言う論理が最も多いこの国では異例だといわれていました。これが単なる口頭禅ではなく、実証しなければならない事態に遭遇する、それは一九八二年に起こった事件。「タイノール」という薬で、アメリカでは一般的に利用されている鎮痛剤に何者かが青酸カリを混入し、多数の死者を出したといいう事件。日本であった「森永砒素ミルク事件」みたいな事件ですが、この時の対応の違いはいうまでもないわけです。まずあらゆる手段で商品を回収し、外部の犯人による仕掛けで会社に責任は無いけれど「人命に関わる問題の解決を最優先とし、たとえ会社がその膨大な損失を蒙って潰れようと止むを得ない」として被害者救済に当ったという。しかしこれによって逆に会社の社会的信用度は一挙に高まったと言われています。
 ロータリーの唱える職業倫理、職業奉仕の実践的解答がここにあるように思う訳でございますが。たゞ株式公開上場会社であっても、ここの会社のように経営者が断トツの筆頭株主であったからで、普通はそうはいかない、そこに今後ロータリーが職業倫理の実践を進めるに大きな問題としてあるように思うと佐藤千寿氏の著述にある。
 一つの会社が株主と経営者による別の形態を為す現在、会社は経営者と所有者が一体であった頃に出来たロータリーの職業倫理は一度見直さなければという意見も分かるように思います。
 商道徳をひたすら守って、百年の暖簾の老舗でも、俄に出来たチェーン化された利益追求のみのベンチャー企業に負けて廃業するというご時世、経営者だけに職業倫理をいうより、むしろ一般投資家から株主に到るまでこれを問う方が先決だが、そうなるともうこれはロータリーの役割では無いのかも知れない。

二〇〇七年六月十三日(第一一二九例会)
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再会

 最近映画が静かなブームのようです。先日の日曜日、久し振りに石原慎太郎制作の映画を観ようと出掛けたけれど満員で断念、その代わり、そこにあったシネマクラシックDVDのあまりにも懐かしい題名に出会って購入、はやる心を抑えながら、家にとって帰ってテレビにセット。孫が来ていて何か言ってるが、ほっといて自分だけわくわくしながら映像に魅入っておりました。あゝなんと懐かしいこの音と場面。
 実はこの映画、私が中学二年の時に兄に連れられて観た忘れもしない思い出の映画だ。ヘミングウェイの「誰が為に鐘は鳴る」で、この映画を観た頃の私はまだ少年ですから、画面に登場する俳優のカッコ良さ、女優のめちゃめちゃ綺麗な事、今で言うイケメン俳優のゲーリー・クーパーとイングリット・バーグマンですが、邦画には無いダイナミックさが私を虜にしたんです。
 へミングウェイでは「老人と海」や、「武器よさらば」もありましたが、なぜか私には、最初観た「誰がために鐘は鳴る」が印象的でした。
 この物語は、一九八三年頃のスペイン動乱を舞台に、橋梁破壊の密命を受けたゲリラ工作員として派遣されたアメリカ青年の物語で、特にラストシーンで追い詰められた主人公達、仲間と愛する女性を先に逃がし、一人追手を向かえ撃つ場面。少年だったあの時は、ゲーリー・クーパーの男らしいカッコ良さのみで、命を賭して仲間を救おうとする主人公の心境とか何も分からず、強烈な印象のみが記憶に残ったまゝだった。いつかそのことの意味を知りたいと思いつつ時が経って、最近やっと原作を読んだのも偶然だった。
 少年のころ観た映画とその内容は、六十五才の今原作を読んでみて感じるものとは当然違いがあるが、しかし遠い記憶の中の映像と、原作の文中から湧き出るような想像は程よく頭の中で画像処理されて、この物語をより深く知る事が出来たのは新たな喜びでありました。
 たゞどうしてもあの映画で演じた俳優の、あの場面が観たいという思いは断ち切れなかったが、日曜日とうとうその思いが叶ったのです。観終えた感想を率直に言えば、そんなに興奮する程でも無かったというか、少年の時に脳裏に焼き付いた強烈な印象とは違っていた事だけで、思い出はそっと残した方が良かったかも知れないなと今は思っています。どうか皆さん、死ぬまでにもう一度観たいとか、誰かに逢いたいという思いは、想い出のみにそっとしておかれることをお勧めします。

二〇〇七年六月六日(第一一二八例会)
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長寿のポイント

 皆さん、どこかでお聞きになったことがありませんか「ピンピン、コロリ」略してPPK=B 「ピンピンと生きてコロリと死ぬこと」だそうで、この言葉、生まれたのは長野県下伊那郡高森町だそうです。これを広めたのは、医事評論家の水野肇さんの著書「PPKのすすめ」で、出版以来有名になったと医療ジャーナリストの大谷克弥さんが法人会の機関紙に紹介しております。それによりますと、日本の長寿マップは、大きく様変わりしてきたようです。長い間、長寿県日本一は沖縄であったのがここへ来て、長野県に抜かれたというのですが、その長野県の健康、体力づくりのキャッチフレーズがこれ、「PPK」でピンピン生きて、コロリと死ねるような健康管理こそ理想としている。その運動が功を奏してか、今や長寿日本一の県とは興味深い。
 これは或る年令になると誰でも描く、人の世話にならずにコロリと死にたい願望の表われで、もう一つは、苦しまずにポックリというのが最も理想としている理由だが、なかなかそうは行かないのが現実である。老年学の専門家によると、ある日突然ポックリ、というのは、老齢死亡の最大限一割弱だそうです。それにしてもピンピンコロリとはゴロがいい。健康管理も楽しくなる。
 ところで人の生死は自身では決められない、医学が進んで生まれ来る命も自在のようではあるが、これとて自分で自分の命を生み出す訳ではない。ただ死については自分で最も自分らしい終わり方を想像することは出来る。
 それにしても、過日の現職大臣の自殺とか、疑惑の渦中にあった元理事長の後追いのような最後、真相は解らぬまヽでしょうか。いずれにしても自分であれ、他人であれ命を粗末にするに変りはない。この世に命より大切なものがあるのか、に対しこの方々は「ある!」としたのでしょう。しかし、あのPPK運動のような、昨日まで精一杯、一生懸命生きて、人に迷惑かけず、今日コロリの理念とはほど遠い命のあつかいではある。

二〇〇七年五月三十日(第一一二七例会)

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530運動

 私どもが活動しておりますロータリークラブの母体は、一九〇五年アメリカで発祥しました。
 現在国際ロータリーでは世界一六八ヶ国の地域に、会員数一、二〇四、六九四名に上る奉仕を志す仲間が、今や世界的問題の環境浄化や水資源、地球温暖化等の対策に寄与すべく活躍しております。
 日本では、現在二、三二六クラブ、会員数九九、七四〇人(本年二月発表)となっており、その中の一つが私ども尾張中央ロータリークラブで、ただ今会員数四十六名で活動しております。本日も530運動に参加致しております、又ささやかでございますが、今回環境美化推進の啓蒙の一助となればとスポーツジャケットを寄贈させて頂きました。
 これからも私達ロータリアンは、奉仕の理想を目指し努力して参ります。
(開会式セレモニー会場:北名古屋市、健康ドームに於いて)

二〇〇七年五月二十七日(第一一二六例会)
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耳掻一杯の人びと

 ものごと何でもそうですが、一目見ればすぐ解ってしまうものとか、ちょっと調べれば、理屈が解るとか、ようするに単純なものはすぐあきられるものですね。そこへいくとロータリーはなかなか難しいからあきない、一言では言い表わすことは出来ないし。十人十色というように一人ひとりの人生観と同じくロータリー理念は十色の解釈が出来る。切り口によっては、さまざまな論理が成立する。ロータリー理念はもともと善行の結晶ですから、どっちから見ても、良いと勝手に思っています。
 最近、職業奉仕の考え方について、議論が盛んなようです。私は職業奉仕はロータリー運動の根幹というふうに思っています、問題は色々な団体への助成金のあり方とか、物の贈呈、寄進、ボランティア援助にお金を掛けることについて、原点に帰ろう運動があるようです。この議論は昔からあるようでロータリーの歴史をたどりますと、例えばオハイオ州でロータリアンの、エドガー・アレンという人、そのころ「キワニス」とか「ライオンズ」とかが結構いろんな活動で目を引いているのを見て、ロータリーでも何かしなくちゃと始めたのが即ち、身体障害児の保護、施療、教育でした。社会的弱者への奉仕、今も昔も変わりません。最大の人道的貢献であるとしてロータリー運動に最も相応しいとされている。
 しかしその時、それは違うと異をとなえたのがあの「最も奉仕するもの、最も多く報いられる」の標語で知られるアーサー・シェルドンさんです。一つの社会問題を取り上げて、その全てをロータリークラブが解決すべきというようなことは論外のことであるというのです。ごもっともなことかと思いますが。ここの部分は、今度のRI会長ウィルキンソンさんも仰っています。「新世代は、ロータリーだけの問題ではなく、人類全ての未来に関わる問題なのです。」と。そりゃあそうでしょう。
 そこでロータリーの姿勢のことについて分りやすく解説されているのが、大村北ロータリークラブの佐古さんの著書で「ロータリーの森を歩く」に、ロータリークラブというのは、耳掻き一杯ほどの職業人をもって、非常に深い親睦を達成するにあるのだ。と述べておられます、そしてその深い親睦というのは経済秩序を健全化することにあるのだとも仰っています。で、職業的社会生活が必然的に持っている欠陥を是正し、自由競争を前提とする社会に、秩序と掟を打ち立てることが出来るのがロータリーなのだ。というんですね。そうか、ロータリアンというのは、まず商道徳を守り、倫理を以って、身を収めることから始まるのか。しかし難しいですねこれも。

二〇〇七年五月十六日(第一一二五例会)
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八田與一の功績

 今朝の新聞に、台湾からの記事で五月八日、八田與一氏の六十五回目の命日を、烏山頭ダムの氏の記念像の前で今年も盛大に行われたと載っていました。
 この方は、知る人ぞ知ると言いましょうか、あの台湾嘉南の不毛の地を肥大な沃野にした偉大な人だったんですが。なんと貯水量一億五千万トンの巨大ダムと、万里の長城の六倍という一万六千キロに及ぶ給排水路を設計し完成させた若き土木技師で、十年の歳月を経て嘉南平原から、洪水、干ばつ、塩害の苦しみ、そして飲み水にも不自由していた嘉南の農民を救ったという人なのです。このことを「神が与え賜うた水だ」と農民達は歓喜の声を上げ氏の偉業を称えたのでした。爾来、八田與一の名前は、嘉南六十万農民の心に刻み込まれ「嘉南大の父」と呼ばれるようになったと言われています。今朝の新聞の記事で、台湾の人々は六十五年を過ぎた今でも、その心は変らず日本人の八田與一氏を偲ぶ行事が行われているということに、改めて感銘致しました。
 私が八田與一というお名前を初めて知ったのは、昭和六十二年(一九八七)八月ボーイスカウト師勝第一団小島四郎さんを団長として、中華民国・台湾へ台湾童子軍と合同キャンプ(大栄火)に遠征された時、同行出来なかった私達に、みやげ話しに聞かせてくれたお話しの中で知ったお名前でした。
 去る五月六日ロータリーでは地区協議会が開催された日でしたが、私は、北名古屋市ボーイスカウト第二団のお招きにより、故小島四郎さんを偲ぶ会に出席してまいりました。発団以来お世話になったこの方の思い出はつきませんが、あの台湾の時の思い出話しもその一つでした。それは、ロータリーの職業奉仕、社会奉仕、環境保全、国際奉仕、このすべてが八田與一氏の貢献の中に含まれたものだったことを小島四郎さんは私達に伝えたかったのではないかと私は思っています。
 振り返ると私にとって小島四郎さんは、色々なことを折りにふれ教えて下さったり、お誘い下さったりした方ですが、まず最初は、二十八年前のボーイスカウトに誘って頂き、十四年前にはロータリーに誘って頂きました。もう一度お誘いがあるかも知れません……。

二〇〇七年五月九日(第一一二四例会)
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武器よ本当にさらばだ

 またかという感じですが、先月米国で大変痛ましい事件がありました。三十二名もの若い人が命を落しました。この国の銃規制はいったいどうなっちゃっているんでしょう。
 銃砲の厳しい規制に反対している論者らはよく飲酒運転で死亡事故が起きたと同じだとして、車や酒が悪いんではなく、飲酒の上ハンドルを握った運転者に責任がある。と同様に、銃撃事件の犠牲者に責任を負うのは銃ではなく、発砲した人間にあるなどと言ってます。
 米国人の銃への思いは、解らぬでもありません。新大陸への入植以来、護身のためまた狩猟や開拓、そして独立といった目的に銃が大きな役割を果してきた歴史がある。(中日新聞社説) 武器の考え方一つとっても、国の成り立ちや歴史が、ものの考え方に大きな違いをもたらすということがわかります。古くは我が国でも民百姓までみな武器を持っていた時代がありましたが、天正十六年(一五八八)豊臣秀吉による 「刀狩」 があり、そのあと明治九年(一八七六)今度は本格的な廃刀令を施行。軍人や警察官らの制服着用時間以外に帯刀することを禁じた「太政官布告」によるものでこの時はさすがに旧幕臣達、戊辰戦争に生き残った武士、明治政府からいうと「不平士族」の激しい抵抗があったようです。世に言う「神風連」の乱。萩とか秋月とかであの映画ラスト・サムライのモデルになった出来事でした。
 そもそも武器を持つ意味と、そして戦う意味はあの国と日本では大きな開きがあります。相手の目を見て一人の敵と戦う、そして一つの命と引替えに得るものは何かを大義とともに考える。そんな戦い方に比べ、あちらでは、あくまで合理的に顔も見えない相手を遠くの方から制圧する手段の銃は、開拓時代にいかに原住民を合理的に制圧するかが目的で次々開発する銃の中で、最初の機関銃は、一分間に六十発の発射能力であったが、すぐに二〇〇発に性能が上がる。
 ところで明治政府は遂に米国の薦めによって、一丁千五百ドル(あまり正確ではないかも)で軍にこれを導入する。一方新政府に反対する旧幕臣武士団、近代兵器を一切拒否し、刀と弓だけで官軍に突撃していった武士達。彼らが伝えたかったものは何かは別として。
 あのとき制圧する側の官軍ですら機関銃による掃討、これは闘いではなく「屠殺」だとし、正視出来ない光景に銃撃を制止したと伝えられている。
 話は元へ戻しますが、日本ではとおの昔に、武器を持つことを禁止しました。ですからまったく信じられないようなことですね。一〇〇年前ならいざ知らず文明国のお手本だったあの国が、今だに一般市民が武器を持っていないと不安で生活出来ないなんて。

二〇〇七年五月二日(第一一二三回例会)

posted by まもる at 17:05| Comment(0) | 会長挨拶